四国の岩澤さんについて

西日本で点在する岩澤/岩沢さんのルーツについて

長尾町史より

香川県大川郡長尾町が合併してさぬき市になる前に長尾町史という文書が出ている。

この中に、岩澤氏が何回か登場するのだが、その中から追っていこう。

 

まず、是弘村の庄屋として名前が出ている人物を上げる。

享保、元文、寛保、延享年間(~1736~1748) 岩沢次左衛門(嘉左衛門)

宝暦、明和、安永、天明年間(1751~1789) 岩沢伊作(作次)

寛政、享和年間(1789~1804) 岩沢孫次郎(茂六)

 

長百姓に次の名がある

岩沢新太郎 嘉永四年(1851年)十二月

 

次に寺子屋として名前が出ている人物

岩沢与平次、岩沢菊治(両名とも是弘村)

 

系図が載っているもの。牢人として名字帯刀を認められたもの。これは当主のみ世襲とされたらしい。

岩沢湛左衛門(只右衛門)「文化11年(1814)より牢人」-唯右衛門(湛左衛門)「弘化元年(1844)養子」-清平

岩沢和五郎「慶応三年(1867)志摩殿郷家来」

岩沢文伯「文政10年(1827)帯刀」-一馬重義(謙斎)「大久保飛騨に仕う」-方三(重治)「養子」-重男

(注釈:志摩殿は松平頼利か。高松松平家の一門家老の松平大膳家七代。大久保飛騨は高松松平家大老大久保主計家当主と思われる。)

 

造田村村長として名が出ており、親子関係の分かるもの

岩沢五平(安政二年(1855)七月二十四日(長男)~大正六年三月三日)(二代村長 明治二十八年(1895)八月三十日~明治二十九年五月二十日)-岩沢章象(明治二十五年十一月二十五日(次男)~昭和五十七年五月二十四日)(10代村長 昭和二年十一月十日~昭和七年二月三日)

岩沢寅八-岩沢昌博(文久元年(1861)七月五日(次男)~大正14年(1925)六月二日)(三代村長 明治29年(1896)七月四日~38年(1905)四月三日)

岩沢梅太郎-岩沢勝美(明治二十七年二月十四日(次男)~昭和四十五年四月十一日)(12代村長 昭和十一年三月五日~昭和二十一年十一月二十日、15代村長 昭和二十八年八月一日~昭和三十一年九月十五日)

 

造田村の三役、議員に名前のある、上記以外の岩沢さん。
岩沢数太、岩沢判朔、岩沢八五郎、岩沢朔

多和小学校の校長に名前のある人
岩沢九平(明治三十七年四月~明治三十八年三月)

造田小学校PTA会長に名前がある人
岩沢朔(四代 昭和三十一年~三十二年)岩澤清水(十三代 昭和五十七年~五十九年)

 造田農業協同組合の理事、監事に名前がある人
岩沢正一

長尾町農業委員に名前がある人
岩沢敬夫

 

岩沢勝美氏や岩沢八五郎氏は精力的に活躍しており、様々な役職を歴任している。

 

資料再読次第この項は細部を追加する。